被災地で見たこと~福島県相馬市で活動して~ [そうかみとは]
初めまして、株式会社そうかみ 神谷太朗と申します。
3月28日~31日まで、東京の葬儀社から4名で福島県の相馬市へ行ってきました。
相馬市は、大きな電気会社の工場跡が遺体安置所になっていました。
遺体安置所で見たこと・・・
次から次に運ばれてくる身元不明の老若男女問わないご遺体を、各県から応援に来ている警察の検視官が検視。
その後、派遣された歯科医師さん達が歯形や治療痕などを調べます。
最後にレントゲンをとり終わったご遺体を私達がお棺に納めます。
お棺に納められたご遺体は、市役所の方が隣の部屋(安置所)へ移します。
安置所に移されたご遺体を探す遺族の方・・・
現実は厳しい。
私にとって衝撃的な光景だったのは、お棺の上に貼られた写真。
それは検視のときに警察の方が撮った写真。
その貼られた写真を見ながら、行方不明になったご家族・ご友人を探します。
倒壊した家屋や瓦礫の中から見つかる方や、津波にさらわれ時間がたってから見つかった方、
中にはお顔だけでは判別できない方もいらっしゃいます。
ただでさえ亡くなられた方のお顔を見るのはとても覚悟のいること。
しかも自分の家族であると限らない・・・
この現実を目の当たりにし、私もショックでしばし立ち尽くしました。
どれだけこの方達はつらい思いをさせられるのだろうと。
もうひとつの私達の仕事、それは火葬場への搬送と火葬のお手伝いです。
近くの火葬場はもうしばらく予約が取れないので、50キロ~100キロ程離れた火葬場へとお連れいたします。
市役所の方が先導し私達が運転する寝台車がつき、その後を遺族の方が車でつきます。
一度、高速道路に乗る前に列を整えようと止まって振り向いたら、1台だった車が6台ぐらい連なっていました。
きっとお別れをしたいというご親戚・友人の方が連絡を取り合い、合流したのでしょう。
胸の詰まる光景でした。
そしてご家族は決まって私達にこう言います。
「火葬してもらえるだけでありがたい・・・」
当たり前のことが当たり前でない現実。
3月11日を境に180度変わってしまった日常。
返す言葉はとうてい見つかりませんでした。
私が帰るときまでで、この安置所に運ばれてきた遺体は約400体。
まだまだ原発の影響や人手不足の影響で見つかっていない行方不明者の方はその倍以上だそうです。
きっとこれからがまた正念場なのだと思います。
海辺の近くにも足を運びました。
なんといえば伝わるのでしょう。
津波が到達したところと、引いたところの境では光景が180度違います。
右を向けば瓦礫の山、左を向けばたくさんの家がそのまま建っている。
誰がこの明暗をわけたのだろうなどと取り留めのないことを考えてしまいます。
町には一生懸命に瓦礫の撤去をしている方達がたくさんいました。
地方からちょっとだけ来て少し手伝っているだけの私達に対し、ものすごくたくさんの
「ありがとう」
をくださいます。
強い、ほんとに強い。
こんなにがんばる人たちになんでこんな辛い思いをさせるのかと心の底から思ってしまいました。
ほんの一握りの小さな小さな力にしかなれていないと思いますが、
この4日間、全力で相馬市と向き合おうと念頭においていました。
自分自身、言葉では言い表せませんが、ココロにとまる何かを感じ取ってきたような気がします。
まずは、一人でも多くの皆様がご家族とお会いできるよう祈っております。
3月28日~31日まで、東京の葬儀社から4名で福島県の相馬市へ行ってきました。
相馬市は、大きな電気会社の工場跡が遺体安置所になっていました。
遺体安置所で見たこと・・・
次から次に運ばれてくる身元不明の老若男女問わないご遺体を、各県から応援に来ている警察の検視官が検視。
その後、派遣された歯科医師さん達が歯形や治療痕などを調べます。
最後にレントゲンをとり終わったご遺体を私達がお棺に納めます。
この一連の流れが同じ場所で行われています
お棺に納められたご遺体は、市役所の方が隣の部屋(安置所)へ移します。
安置所に移されたご遺体を探す遺族の方・・・
現実は厳しい。
私にとって衝撃的な光景だったのは、お棺の上に貼られた写真。
それは検視のときに警察の方が撮った写真。
その貼られた写真を見ながら、行方不明になったご家族・ご友人を探します。
倒壊した家屋や瓦礫の中から見つかる方や、津波にさらわれ時間がたってから見つかった方、
中にはお顔だけでは判別できない方もいらっしゃいます。
ただでさえ亡くなられた方のお顔を見るのはとても覚悟のいること。
しかも自分の家族であると限らない・・・
この現実を目の当たりにし、私もショックでしばし立ち尽くしました。
どれだけこの方達はつらい思いをさせられるのだろうと。
もうひとつの私達の仕事、それは火葬場への搬送と火葬のお手伝いです。
近くの火葬場はもうしばらく予約が取れないので、50キロ~100キロ程離れた火葬場へとお連れいたします。
市役所の方が先導し私達が運転する寝台車がつき、その後を遺族の方が車でつきます。
一度、高速道路に乗る前に列を整えようと止まって振り向いたら、1台だった車が6台ぐらい連なっていました。
きっとお別れをしたいというご親戚・友人の方が連絡を取り合い、合流したのでしょう。
胸の詰まる光景でした。
そしてご家族は決まって私達にこう言います。
「火葬してもらえるだけでありがたい・・・」
当たり前のことが当たり前でない現実。
3月11日を境に180度変わってしまった日常。
返す言葉はとうてい見つかりませんでした。
私が帰るときまでで、この安置所に運ばれてきた遺体は約400体。
まだまだ原発の影響や人手不足の影響で見つかっていない行方不明者の方はその倍以上だそうです。
きっとこれからがまた正念場なのだと思います。
海辺の近くにも足を運びました。
なんといえば伝わるのでしょう。
津波が到達したところと、引いたところの境では光景が180度違います。
右を向けば瓦礫の山、左を向けばたくさんの家がそのまま建っている。
誰がこの明暗をわけたのだろうなどと取り留めのないことを考えてしまいます。
町には一生懸命に瓦礫の撤去をしている方達がたくさんいました。
地方からちょっとだけ来て少し手伝っているだけの私達に対し、ものすごくたくさんの
「ありがとう」
をくださいます。
強い、ほんとに強い。
こんなにがんばる人たちになんでこんな辛い思いをさせるのかと心の底から思ってしまいました。
ほんの一握りの小さな小さな力にしかなれていないと思いますが、
この4日間、全力で相馬市と向き合おうと念頭においていました。
自分自身、言葉では言い表せませんが、ココロにとまる何かを感じ取ってきたような気がします。
まずは、一人でも多くの皆様がご家族とお会いできるよう祈っております。
株式会社そうかみ 神谷 太朗